ミニマリスト失敗談 自分軸がない捨て方をしてしまう/物欲が消えた/パンツ2枚生活を始めるなどなど

ミニマリストを目指す

ブログ筆者はそこそこ少ない持ち物で暮らしてる、いわゆるミニマリスト寄りの人間。
まあこのミニマリスト的な生活を送る上で、振り返るとけっこう失敗してきた気がしてて。

ということで、失敗談を振り返りつつ、これから少ない持ち物生活を始めたい人の手助けになればと思っています。



いくつかの失敗談を紹介させてください。

自己紹介
持ち物の多さに疲れ、ミニマリスト的な生活を目指し始めた。
もう5年ほど、少ない持ち物で生活している。
とりあえず、余計な物に邪魔されずに生きたいと日々思っている。



「自分軸がない捨て方をしてしまう」

「自分軸がない捨て方をしてしまう」

何言ってんだ?と思う人も多いと思うので補足しますね。

「自分軸がない捨て方」というのは、自分にとって必要かどうかを考えずに、持ち物を手放しまくってしまうことだと思ってください。

例えば、SNSのミニマリストを参考にしてベッドを手放してみるとか、深く考えずに服を全部捨ててみるとか。

全裸生活まっしぐら。そりゃ後悔する。



実際、「自分軸がない捨て方をしてしまう」これをやってしまうと、こうなっちゃうんですね。

→ 最低限生活するために必要な物まで手放す

→ 不便になる

→ あれ?少ない持ち物生活って生きづらいぞ?となる

→ 試しに物を増やしてみる

→ あれ?物ってあればあるだけ便利じゃん?となる

→ 不要な物があふれた生活に逆戻り

こんな感じで、結局また不便な生活に戻るんですね。

僕自身もそうで、はちゃめちゃに捨てまくって、気づいたらパンツ2枚生活になっていました。

その不便さといったら半端ないですよ。

パンツ2枚なので毎日洗濯。夜に洗濯忘れたら、手洗い→ドライヤーで乾燥という、クソ生活してました。

そこから物を増やしていったら、気づけば部屋が物であふれていましたね。

何がダメだった?

そこで一度、「なんで少ない持ち物生活を目指したんだっけ?」と我に返った瞬間があって。

結局、不要な物にかける労力と時間をなくして、快適に暮らしたかっただけなんですよね。

じゃあどこで間違ったんだ?と振り返った結果、

結論:自分軸がない捨て方をしていた

ここに尽きると思っています。



自分に必要な物と数を把握しないまま、他人を参考にしたり勢いで断捨離すると、99%後悔します。

対策はシンプルで、

① 自分にとって必要な物を整理する
② それ以外を手放す
③ ①②を繰り返す

これだけ。

僕自身、何年かかけて断捨離を続けて、ようやく「ちょうど良い」と言える持ち物で生活できている気がする。

ちなみに、パンツは4枚持っています。毎日洗濯不要です。

ベッドなし、服1コーデ、家具ほぼゼロの白い部屋……
そんな特殊ミニマリストの真似をしても、不便さしか感じないでしょ。

彼らは特殊な訓練を受けています。

ということで、自分軸で持ち物を減らすことを強くオススメします。

ミニマリストを目指す過程で物欲が消えた

ミニマリスト的な生活を目指す過程で、物欲が消え失せたという話をさせてください。



その前に言っておくと、僕は学生の頃までは普通に物欲まみれでした。

大学に入って一人暮らしを始めて、バイトでそこそこお金を持つようになって、毎月のように服や食器や家具を買っていたかな。
部屋をオシャレ系にすることに必死だった記憶がありますね~



店に行って気に入った物があると、買いたい衝動が抑えられないみたいな。
まあ、よくある話ですよね。

そんな物欲まみれの僕でしたが、大学の研究や就活、連日の飲み会で、だんだんストレスが積み重なっていったんですね。。

ある日、床に散らかった服を見て、うざいなーと思って、片っ端から捨てました。
それが妙にスッキリして、そこからミニマリストという存在を知り、少ない持ち物で生活するようになりました。

そこから、自分の中でひとつ大きな変化がありました。

物欲が消えたんです。

買い物に行っても、物を欲しいと思わなくなった。
前は服をちょっと見るだけで「これ買おうかな」と衝動と戦っていたのに、今はその気すら起きない。

なんなら、買い物に行くというイベント自体が激減しました。

理由はよくわかっていないですが、たぶん以下の複合的なものです。

物欲が消えた理由

・捨てる手間を知ってしまった

断捨離を繰り返して思ったんですよね。
物って、捨てるのが本当に面倒。
ゴミ袋に入らない物は回収センターに持っていく必要があって、何往復したのかわからない。
買っても捨てるとき面倒という感覚が、無意識に染みついた気がします。



・不要な物にかける労力を知ってしまった

物が多いと、労力が増えることを知りました。
買う手間、選ぶ手間、探す手間、手入れする手間…。(ググるといっぱい出てくる)
一度それを理解してしまうと、物を増やすこと自体が億劫になった気がします。



・必要な物がそろっていることに気づいた

断捨離するときに「今の生活に必要な物」を整理して、不要な物を捨てているので、もう必要な物は揃っているんですよね。
追加で物を増やす必要がないと自覚するようになったんですね。
そして、前述したように増やしたところで労力が増えるし、最終的に捨てるのも面倒。



・大抵の物は不要になる

断捨離を重ねて気づきました。
大抵の物は、時間が経てば不要になる。
必要な物を考えて、それ以外の物を手放そうと思ったときに昔欲しくて仕方なかった服も、ほとんど捨てました。
その場の衝動で買った物は、結局いらなくなる。
それを体感してから、衝動的に物が欲しくなることはなくなったような気がします

物欲が減ってよかったのか



物欲が減ることは良いことなのか。

買い物に行く時間は節約できるし、出費も減る。
表面的には良いことだと思います。

でも、僕自身なんとも言えない葛藤があります。

物欲がないので、買い物を楽しめないんですよね。

友人や彼女が買い物を楽しんでいる姿を見ると、羨ましくなる。
買い物という娯楽を失ったんだなと思うようになりました。

思い返してみると、
昔は一人で買い物してても、友人と買い物してても、
「これ欲しいな〜」と思いながら新しい物を見るあの感じは、すごくワクワクしていたし、心から楽しんでいた。



でも残念ながら、今はもう楽しめない。

ミニマリストの人生が“つまらなそう”と言われる理由のひとつは、たぶんこれなんだと思います。

買い物に使わなくなった時間とお金を、何か別の趣味に回せたらいいんですけどね…。
なかなか難しいものです。

パンツ2枚生活が始まる

僕、一時期ほんとに断捨離にハマってて。
自分で引くくらいには物を捨ててたんですよ。

服だけでデカいゴミ袋5〜6袋。
一人暮らしでも意識しないと物って溜まるみたい。

当時は床に物が落ちてるだけでストレス感じてたし、ネットのミニマリストの真似するのが生きがいみたいになってて。
カルト教団信者でした。



で、大量に捨てた結果どうなったかというと…
地獄みたいな生活がこんにちはしてきたんですよね。

とにかく物が少ない。
気づいたらパンツは2枚。



僕、そこそこ清潔さは求めるタイプなので、同じパンツを2日連続で履くのは無理なんですよ。
だから毎日洗濯してたんですけど、まあ理屈上はそれで回るんですよ。理屈上は。



問題は洗濯を忘れた日。
やべえと思いながら風呂場で昨日のパンツを手洗いして、ドライヤーで乾かすんですよ。
#ドラム式洗濯機なんてないから



パンツ以外も少なくて、食器も机もない生活。
今思えば、なにかの罪を犯したとしか思えない部屋で生活していました。

物は便利ということに気づく

で、さすがに気づくんですよ。
「あ、ミニマリストの生活ってキモいんだな」って。

まあ振り返るとミニマリストではなくて僕の生活がキモイだけだったんですけど。

そこから物を増やし始めて、パンツもちゃんと買い足して、結果的に普通の生活に戻りました。
一回捨てて買い戻すという、完全に無駄な買い物ばかりして財布が死んだような…



そのとき、物って便利なんだなと当たり前のことに気づかされました。



物の便利さに気づきつつ、「そもそもなんでミニマリストに憧れたんだっけ?」って考えるようになって。
結局、不要な物に時間や労力を奪われずに、快適に暮らしたかっただけなんですよね。
部屋に何もないスタイリッシュさに憧れたのも少しあるけど、本質はそこじゃない。

必要だったのは、
「なんでもかんでも捨てる」じゃなくて、「自分にとって必要な物を考えて捨てる」こと。

長期的な断捨離が大事なんだなって、今でも思います。

① 自分に必要な物を整理する
② それ以外を手放す
③ ①②を繰り返す

これを淡々と続けるだけ。
普通に生活して、また定期的に見直して、を繰り返すと自然と「自分に必要な物」がわかってくるんですよね。

オススメです。

詳しくはこちらで話しています。

ミニマリスト生活のゆるーい目指し方【難しい要素0】

まあ、パンツ2枚生活みたいな痛みを味わったからこそ気づけたことでもあるので、今となっては良い思い出です。

皆さんもパンツを手洗いするような生活にならないよう捨てる時には注意してください。ただ、痛みを覚えることもオススメです。

他人の持ち物に興味を持ってしまう

少ない持ち物生活に興味を持つまでの過程って人それぞれだと思うんですけど、その途中でだいたい誰もが通るキモい道があると思ってて。

そうです、「他人の持ち物が気になっちゃう」現象。

家族、恋人、友人、他人……
同棲しているなど距離が近ければ近いほど、

「なんでこんなに物持ってるの?」
「これ捨てさせられないかな?」

みたいな思考が湧いてくる。



物を手放した方が快適になるという今までの人生で持ってなかった価値観を手に入れた化け物ミニマリストは本当にこういう思考をするんですよ。

で、その思考のまま突っ走ると、以下みたいなキモ行動を取ります。

・少ない持ち物生活の良さを聞かれてもいないのに語る
・これは捨ててみようかと提案する

ちょっと補足します。

キモ行動 少ない持ち物生活の良さを聞かれてもいないのに語る



「必要最低限で生活した方が快適なる」という新しい価値観を手に入れた僕らは、すぐに他人に布教したくなるんですね。

でもこれ、ハッキリ言ってガチ迷惑。

「この水めちゃ健康にいいんですよ」と微妙な人に言われても響かないでしょ。

そのレベル。

僕はリアルで語るのはやめましたが、このブログを読んでくださる人ならわかると思いますが、ブログで語るのはやめられていないこじらせミニマリストです。

・キモ行動 これは捨ててみようかと提案する



次に、普通に他人の持ち物に干渉しようとするんですよね。
恐怖でしかない。

「なんでお前の少ない持ち物で生きたいというエゴに付き合わなきゃいけないんだ」って話ですよねー

価値観の押し付け以外の何物でもない。

僕も昔、同棲してた彼女に
「これ捨てない?」
って言ったことがあるんですが、今思うと普通にキモいな。

他人の持ち物に興味を持つ無意味さ

冷静に考えると、少ない持ち物生活に興味を持った根っこって、「不要な物に時間と労力をかけずに快適に生きたい」だと思うんですよ。



その思想でいくと、「他人の物」という自分にとって不要な物に頭を使ってる時点で矛盾してる。

普通に快適になりきれてない。

だからこそ、少ない持ち物で生きたい人ほど、他人の物に興味を持たない方が自分にも相手にもためになると思う。

少ない持ち物生活を始めても他人の物には干渉しないことを強くオススメします。

ミニマリストブロガーのネタの無さ



筆者はそこそこ少ない持ち物で生活してて。
世間的にはミニマリストと言われる部類の生き方をしていると思われる。

そしてSNSでは何者でもない僕がそれっぽく何者かであるように振る舞うために、ミニマリストを自称している。

冷静になると恥ずかしいので、あまり知人には自身が自称ミニマリストでSNSをやっていることを話していない。

そんな自称ミニマリストの僕なんですが、断捨離以外にも趣味がある。
それがこのブログ運営。

最初は「何者かになるため」に始めたブログだったけど、結局たいした収益もアクセスも出せず、何者にもなれなかった。
残ったのは、ただ好きなことを書き散らす場所だけ。

まあ幸いにも、自分の考えを文章にするのは好きなので、今日もこうして記事を書いてストレス発散している。

そんなブログ大好き芸人の僕が、ミニマリスト関連の記事を書かないわけがないじゃないですか。
カテゴリ欄を見てもらえばわかるけど、すでに100記事以上書いている。

後でこの数字の怖さがわかる話をするね。

ミニマリストブロガーの記事の薄さ



ミニマリストブロガーとして記事を書き続けてて、ずっと思ってることがある。

ミニマリスト関連の記事って、書く内容なくね。

突き詰めると、

・少ない持ち物生活の良さ
・持ち物のいい感じの手放し方

この2つしかない。

ミニマリストなんてただの少ない持ち物で生活しているだけの人なんだもん。

なんでその生活しているの? どうやってその生活になれるの?くらいしか書くことないんだもん。


それを薄く延ばして、記事を量産し続けているだけなんだよね。

例えば「少ない持ち物生活の良さ」なら、

・少ない持ち物生活の良さ10選
・少ない持ち物生活で得られた効果
・不要な物を持たない生活の良さとは

みたいにタイトルだけ変えて、中身はほぼ同じ。



「持ち物のいい感じの手放し方」なら、
服・靴・本…とカテゴリごとに分けて書くだけ。



少ない持ち物生活の本質なんて、
不要な物にかける時間や労力がなくなる
これに尽きる。

持ち物の手放し方の本質なんて、
自分にとって必要な物を考えて、それ以外を手放す。慣れるまで繰り返す。
これだけ。

コツなんてその本質の前にはかすむくらいどうでもいい内容。

でも書きやすくて良き

でね、

ミニマリストの記事って、自分のライフスタイルを書くだけだから、めちゃくちゃ書きやすいんですね。
気づけば、2記事で終わる内容を100記事以上に薄めて書いてしまった。



ここ最近は「ミニマリスト失敗談」というテーマで書き続けているけど、これも結局は

・少ない持ち物生活の良さ
・持ち物のいい感じの手放し方

このどちらかの本質を、また薄く延ばしているだけ。

ミニマリストの記事を読むときはこのあたりを意識すると、結局言いたいことはいつも同じやんってなると思うよ。

ちなみに、節約や投資を題材にしているミニマリストもいるけど、節約と投資って本来ミニマリストとは関係ない。
ただ単にお金が大好きな人が、たまたまミニマリストっぽい生活をしているだけなので、ここでは無視してる。

捨てきった後でも定期的に持ち物を見直さない

昔、そこそこのストレスを抱えていたとき、持ち物の多さに嫌気がさして、多くの物を捨てました。

そこから不要な物を無くすことに興味が出てきて、ちょうど当時ミニマリストブームだったことも重なり(懐かしい)、彼らを参考にさらに大量の物を手放したんですよね。

まあ、減らしすぎた反動で一度持ち物を増やし、またその反動で手放す…という遠回りは何度かしましたが、最終的には「もう不要な物はない」と思えるところまで手放しきりました。

物を増やすときも1イン1アウトを徹底して、不要な物を溜め込まない決意もしました。

と思っていたんですが、ここから「まだまだ不要な物あったよー」という話をさせてください。

ふとクローゼットを見たときに、
「服多いなー」
と思って、2年ぶりに断捨離してみたんですよ。

気持ちとしては、
「まあ数点いらん物が見つかればいいかな」
くらいの軽い片づけノリ。

でも結論、そこそこ不要な物が見つかって、結果的に大規模な持ち物見直しになったんですね。

前回あれだけ頑張って手放したのに、また大量に不要な物が出てきた理由はたぶんこの2つ。

・人は不要な物を溜めがち
・不要な物の解像度が上がった

それぞれ補足させてください。

・人は不要な物を溜めがち



まず、人は不要な物を溜めがち。

特殊訓練で脳が洗練されていない限り、
「不要な物を家に持ち込まない」
「持ち込んだらすぐ排出する」
なんて無理。

一時的にはできても、年単位で継続するのは無理。

1イン1アウトなんて、素人の続けられる習慣ではない。
買い物ゼロ・貰い物ゼロの虚無人生なら別だけど、普通はそうじゃないでしょ。

仕事や生活環境が変わるだけで、物って自然と増えるし…



不要な物ってホントに気づかぬうちに増えている。

不要な物の解像度が上がった

次に、不要な物の解像度が上がったことについて。

必要な物を考えて手放して、これで断捨離完了と思って普通に生活するじゃないですか。

すると、普通に不自由なく生活できちゃう。

まあ必要な物を考えた上での断捨離での当たり前と言えば、当たり前。

で、2年後にもう一度断捨離すると、
「え、これ前は必要だと思ってたけど、今いらんやん」って気づくことが結構あって。



要は、
不要な物を見抜く解像度が上がるんですね。

必要な物を厳選してそのまま普通に生活した結果、無くてもいいモノの存在に気づけるようになるみたい。

あとは生活習慣や仕事が変われば、必要な物も更新されるし、そりゃ不要な物も出てくる。



不要な物の解像度は何度か持ち物整理と共に向上するんですね。

少ない持ち物生活を目指すコツ

不要な物を手放して少ない持ち物で生活したい人は、
半年に1回くらいでいいから、必要な物を見直す機会を作った方がいい。

1回の断捨離に時間をかける必要はなくて、サクッと終わらせて、定期的にやる方が絶対いいですよ。

どうせ最初は解像度低いので。

個人的には、物を捨てるとスッキリするので、良いストレス発散にもなっています。

定期的な趣味くらいの感覚になれば最高。

SNSミニマリストの持ち物と比較して生きる

まあ、どういう経緯かは人それぞれなんですけど、少ない持ち物生活に興味を持って、SNSのミニマリストに憧れる人って一定数いると思うんですよ。

まあ僕もそのひとりなんですけど。



断捨離をある程度進めて、ミニマリスト系インフルエンサーの真っ白で何もない部屋を見て、みんなこう思うんですよ。



「スタイリッシュすぎる…この部屋、目指してえ」
ここからが終わりの始まりです。

まず、なんとか持ち物を減らすために生きる上で最低限の物だけ残して、あとは片っ端から手放していくんですよ。



でも、残念ながらあのスタイリッシュな部屋には全然近づかない。

というのも、彼らは特殊な訓練を受けていて、僕らの想像をはるかに超えるレベルで物を持たずに生活できるんですよ。

普通の理性を持った人間が真似しても、「これ手放したらさすがに不便じゃね?」のブレーキで同じくらい物を捨てることはまず無理。



で、そこそこ捨てた結果どうなるかというと…
シンプルに、物が少ない不便さがこんにちわしてくるんですね。
ただただ不便。



あの部屋に住むためには、

・想像を絶する断捨離
・物がない生活を我慢
・毎日の片づけ/掃除
・前面白色の部屋に引っ越す

など、一般人からするとそこそこダメージを追わないと無理です。

結論、真似はやめましょう。

どうしても真似したいなら、真っ白な部屋に引っ越して、特殊訓練を受けてください。

ミニマリストを目指す過程

このブログで何度も言ってますが、
結局1番快適なのは 「自分にとって必要な物だけで生活している状態」 なんですよね。



物が多すぎれば不要な物に労力を奪われるし、少なすぎれば物がない不便さに苦しむ。



だから、自分に最適な量の把握が必要。

やることはシンプルで、

① 自分に必要な物を整理する
② それ以外を手放す
③ ①②を繰り返す

これだけ。

持ち物を見直して、普通に生活して、また定期的に見直して…を繰り返すと、自然と「自分に必要な物」がわかってくるんですよ。

スタイリッシュな部屋を目指すより、
自分の快適さを追求する方が圧倒的に快適だし、おもしろい。

自分基準だからネットに答えがないんですよ。
どう感じるかは自分次第なので、そこを考えるのがまた楽しいんですよね~

少なければ少ないほど良いという思考の危険性


なぜ危険か? 簡単に話す。



・不便

当たり前だけど持ち物が少ないと普通に不便。
ミニマリストにハマっているときは気づけないけど、一般的に考えれば物を減らせば不便になるのは当然。
でも当時の僕は、そこに気づけないくらいには妄信していた。
毎日服を洗濯して、洗濯できなかった日は手洗いしてドライヤーで乾かす。
服が足りない生活をして、ようやく不便さに気づいた。



・自分にとっての必要な物がわかっていない

快適に生活するには、自分にとって必要な物が何かを理解していないとダメだと思ってて。
仕事に必要な物を持っていなかったら困るし、生活環境や価値観によって必要な物は人それぞれ。
そこを考えずに、ただ減らし続けるのは損でしかない。



・なぜ減らすのか?を忘れがち

↑の話の続き。
少なければ少ないほど良いって思考は目的を見失っている状態。
僕の場合、目的は「不要な物にかける労力を減らしたい」だった。
なら、不要な物だけ手放せばいい。
減らすこと自体を目的にする必要はないはず。
快適に生活したい、労力を減らしたい、スッキリした部屋に住みたい、SNSで見るミニマリストに憧れている、インフルエンサーになりたい…。
目的は人それぞれだけど、目的に合わせた行動は必要よね~



・深く考えずに行動している

さらに↑の話の続き。
「不要な物に労力をかけたくない」という目的なのに、少なければ少ないほど良いという行動が目的化していたのは今思うと普通にアホなんですよね笑
普通に考えたら捨てたらダメなレベルの物まで捨ててた。食器ゼロ生活とか意味がわからないでしょ。
この思考停止の行動が目的になるのはダメだよね…




こんな感じで、「少なければ少ないほど良い」という思考は、わりと浅はかだったなという話でした。

もちろん、不便さを受け入れてでも真っ白な部屋に住みたいなら、それはそれでいいと思うけどね。

売ることを優先していた

大学院生の頃、いろんなストレスが重なって、床に落ちている物にすらキレ散らかす日々を送っていた。
余裕0でしたわ…

そこから色んな物を手放してみてストレス発散になることに気づき、だんだん断捨離にハマって、家の中のありとあらゆる物を手放した。

今回はその手放し方の話なんですが、当時の自分の考え方としては、どうせ捨てるならお金に換えた方がええでしょ、というスタンスだった。

あと、何かの本で読んで妙に共感してしまったのが、物の価値って「人に使われているかどうか」で決まるらしくて。
僕が捨ててしまえば、その物は誰にも使われず価値を失っていくけど、売れればまた誰かのところで価値を発揮する。

物のためにも捨てるくらいなら売ったり、あげたりした方がいい論。

ちなみに、エコでもある。

そんな話に無駄に感化されて、売ることを最優先していた。

なので、

・リサイクルショップ
・メルカリ&ラクマ

このあたりをフル活用していたかな。

結論から言うと、そこそこの金額にはなったけど、あの頃の僕からすると全捨てでよかったと思ってて。

理由は、とにかく時間と手間がかかるから。

リサイクルショップ

・リサイクルショップの場合

売りたい物を車に積んで、運転して、受付して、査定を待って、また帰る。
もちろん1回で終わるはずもなく、何回にも分けて通うことになる。
ホントに時間と労力を使う割には金額も安いというね。

メルカリ/ラクマ

・メルカリの場合

・見栄えよく写真撮影
※見栄え悪いと本当に売れない

・価格設定を考える
※類似品を調べながら

・きれいに梱包
※雑だと低評価つけられて次から売れづらくなる

・早めに発送
※遅いとまた低評価

・取引のやりとり

こんな感じで、1回売るだけでもめちゃくちゃ面倒。

適当に出品して適当に発送していると、本当に売れなくなるからね笑

研究でそこそこ忙しい時期にも、何度も何度も売っていた。
休日はほぼこの作業で潰れていたかな。

とまあ、こんな感じで時間と労力がとにかくかかる。

売らずに捨てるという選択肢

でも、売らずに捨てるなら燃えるゴミ・燃えないゴミの日に出すだけでいい。
移動も写真撮影も梱包もいらない。
売るのと比べると、手間が圧倒的に少ないんですね。

たぶん、メルカリやリサイクルショップで売れた総額ってギリギリ10万円くらいだと思ってて。

大学院時代の10万円は貴重だけど、あの頃の自由な時間を10万円で買えると思うと、今になって安かったなと思ってる。

それこそ、バイトして10万円貯めた方が、人生の経験値的にも良かったんじゃないかとすら思ってる。



結局はお金と時間の天秤なんだけど、明らかに高価な物は売った方がいいとしても、なんでもかんでも売ろうとするのは、時間がもったいなかったなという話でした。

思い出を形に残す意欲0

「不要な物をなくして必要な物だけ残す」というミニマリストのよくある考え方。

では、これを思い出に当てはめるとどうなるか考えてみよう!!

例えばこんなの。

・旅行先で撮った写真(スマホで撮影した写真含む)
・友人からもらった置物
・ライブで買ったグッズ

正直これまで思い出の物を残しておらず例えもこのレベルしか出てこないのだが、この世の中に思い出になる物は無数に存在するはず。

ではこれらは自称ミニマリスト目線で必要か?



まーいらんでしょ。

少なくとも2,3年前の僕はその考えだった。

だって、生きる上で必須じゃないでしょ?

快適に生きるために必要な仕事、睡眠、お金、食事、清潔感とかと比べたら、いらん。

しかも写真を撮ることにはデメリットもあったりする。

その場の感動を味わう時間が減る、写真撮ってる間にご飯が冷める、撮った写真の整理が面倒くさいなどなど。

写真を撮ることに固執して目の前の光景をちゃんと見ようとしないことは非常にもったいない気がする。

こーいうの目に焼き付けたいやん。

だから深く考えることもなく、不要って判断してきた。

ここ2、3年は写真も置物も思い出関連の物はほとんど残してない。

生活には全く支障ない。困らないので問題ナッシング。

思い出なんかいらん

と思ってた。

まあ実際、困ってない。

生活になくても困らない以上マイナスにはなることはない。

でも振り返って気づいたのはプラスにもならないということ。

ここ最近何が楽しかったか振り返ろうとしても、手元に振り返る材料がない。

写真を撮らないで記憶に焼き付けようとしても、僕の記憶力はそんなによくない。

旅行や友達との時間はそこそこあるのに、ぶっちゃけあまり思い出せない。

一方で友達の家に行くと、旅行やライブで買った物が並んでて、そこには幸せがある感じがする。

写真フォルダを開けば、さらに幸せを感じちゃう。

まだミニマリストという考えを知らなかった頃のラインのアルバムを見るといっぱい写真を残してて、今でも振り返ると幸せな気持ちになる。



今となっては僕の写真フォルダには、そういう写真がほとんど残ってない。大事なデータのスクショとかしょーもない写真ばっかり。

これからは思い出の写真もバンバン残して、後から幸せ再発掘できるようにしよう!!!

なんて急に方向転換して写真を撮りまくるつもりもない。

これから急にお土産を集めるとかもしない。



無くても生活できるのは知ってるし、無理に残す必要はない。

正直、積極的に残そうって気持ちも湧かない。ある意味、ミニマリストに一度心酔した末路かもしれない。



マイナスを削りプラスにならない人生。それがミニマリスト。と自分に酔っている自称ミニマリストでした。

モノを手放しすぎた生活、普通にめちゃくちゃ不便

ミニマリズムに目覚めた当初の僕の行動力は、今思い返してもちょっと異常だった。

「物が少ない=正義」 「持たない暮らし=身軽で洗練されている」

当時の僕は完全にこの思考に染まっていて、休日のたびに部屋中のゴミ袋片手に「いらない物」を探していたかな。

最初は明らかに不要なガラクタや着ていない服を捨てるだけだったんですが、次第に感覚が麻痺してきて、

・「これ、年に数回しか使わないから要らないんじゃないか?」
・「代用できるなら手放しちゃっていいのでは?」

と、まだ普通に使う生活必需品までガンガン処分し始めたんですよね。

部屋はどんどんスッキリして、床に何もない空間を見ては「よしよし、ミニマリストに近づいてきたぞ」と自己満足に浸っていました。

が、ここからが地獄の始まり。



当たり前の話なんですが、「年に数回しか使わない物」にも、ちゃんと存在する理由があるんですよね

物を極限まで減らした生活を始めてすぐに痛感したのは、「ただただ不便」という現実。

例えば、

たまの旅行や出張で必要になる「スーツケース」。

年に1〜2回あるかないかの冠婚葬祭やイベントで着る「スーツ」。

これらを「普段使わないから邪魔」「身軽でいたいから手放そう」と勢いで処分してしまった結果、いざ必要になった瞬間に困るわけ。

「あ、来週出張なのにスーツケースがない……」 「来月友人の集まりがあるのに着ていくスーツがない……」

みたいな。

持っていればクローゼットから引っ張り出すだけで0円・所要時間3分で解決する話なのに、手元にないせいで余計な時間と手間が膨大にかかるようになった。

友人に頭を下げてお金を払って借りるという本末転倒

スーツケースやスーツがないと分かった時、僕がどうしたか。

「友人にお金を払って(あるいはご飯を奢って)借りる」という謎の行動をしていましたね。。。

「レンタルサービスを使うと返却手続きが面倒だし高いから、友人にちょっと謝礼を渡して借りよう」という思考。

もちろん友人は快く貸してくれたりもしたんですが、

・「日程を合わせて受け取りに行く手間」
・「借りた物を汚したり傷つけたりしないかという精神的ストレス」
・「お礼として払う謝礼やご飯代」
・「使い終わった後にクリーニングに出して返す手間とお金」

これらを総合して考えた時、ふと冷静になった瞬間がありました。

「……あれ? 自分の家で普通に保管してた方が、圧倒的にお金もかからないし気も楽じゃない?」と。

物を減らして身軽になりたかったはずなのに、他人に気を使って、移動に時間を使い、お礼やクリーニング代でお金を消費している。

まさに本末転倒、何のためにミニマリストを目指しているのか完全に意味不明な状態に陥っていました。

ミニマリストを目指す過程で「そこそこお金を使った」理由

振り返ってみると、

僕が「ミニマリストになろう」として無駄に使ってしまったお金のパターンは大きく分けて3つかな。

1. 「手放したけど結局必要になって買い直す」出費

一度捨てたものの、生活が不便すぎて耐えられなくなり、数ヶ月後に同じような物を再度購入するパターン。
最初から持っておけば0円だったのに、買い直すことで2倍のお金がかかりました。

2. 「代用・レンタル・友人への謝礼」にかかる出費

前述のスーツやスーツケースのように、手放したせいで発生した都度のレンタル代や謝礼、クリーニング代。
たまにしか使わない物でも、数回レンタルしたり人に借りたりしていると、普通に新品が1着・1個買える金額に達してしまいます。

3. 「ミニマルにするための買い替え」出費

「持ち物を減らすために、1台で何役もこなせる多機能な高いアイテムを買う」「コンパクトでスタイリッシュな物に全部買い換える」という、ミニマリスト特有の物欲バグ。
結果として部屋の物は小さくなったかもしれませんが、銀行口座のお金はしっかり減っていきました。

結論:快適な生活のために「たまに必要な物」は持っておいていい

この手の手痛い失敗を散々経験して、僕が学んだのはひとつだけ。

「生活を快適にするためのミニマリズムであって、物を減らすこと自体を目的にしちゃダメ」

ということ。

年に1〜2回しか使わなくても、スーツやスーツケースみたいに「その時に確実に必要で、代用が効きにくい物」は、普通にクローゼットの隅に置いておくのが一番コスパが良いし、何より精神的に楽。

持ち物の数を競うゲームをしているわけじゃないんだから、自分が快適に、ストレスなく暮らせるなら、多少の「たまに使う物」があっても全然いい。

そんな当たり前の事実に気づくまでに、僕はそこそこの時間とお金を無駄にしてしまいました。

もし今、「部屋の物を極限まで捨てたい!」とテンションが上がっている方がいたら、ゴミ袋に入れる前に一度深呼吸して、

「これ、手放した後に人に借りたり買い直したりしないか?」

と自分に問いかけてみてください。

ミニマリストの定義にこだわった人生

僕がミニマリスト的な生活に足を踏み入れたのは大学院生の頃。

当時の僕は、生活や研究のストレスで頭が完全にバグっていて、部屋にある「持ち物の多さ」に謎のイライラをぶつけるように物を捨てまくったのが始まりだった。

そこから「物が少ない生活=正義」と思い込み、試行錯誤を繰り返してきた。

世間一般における「ミニマリストの定義」って、突き詰めるとものすごくシンプルだと思ってて。

「持ち物が圧倒的に少ない人」

世間が「あの人ミニマリストだな」と判断する基準は、部屋に家具がないとか、服が数着しかないとか、そういう「物理的な少なさ」でしかない。

本質を突き詰めた結果、生まれる矛盾



一方で、ミニマリスト界隈でよく言われる「本質的な定義」もある。

「自分にとって本当に必要なものを徹底的に検討し、それ以外の不要なものを手放す人」

この考え方自体はすごく良いと思うし、僕も大賛成。

持ち物のひとつひとつに向き合い、納得したものだけに囲まれて暮らす。それこそが快適な生活の土台になるはずだから。

でも、ここでひとつ大きな矛盾が生まれる。

「真剣に検討した結果、あれもこれも必要だと判断して、普通にたくさんの物を持っている人はミニマリストと呼べるのか?」

例えば、

・仕事の効率を上げるために、専門書や複数モニター、デスク環境をしっかり揃えている人
・ペット用品を妥協なく維持している人
・趣味や日々の暮らしを快適にする便利グッズを使いこなしている人

彼らは決して無駄遣いをしているわけじゃない。

「自分に必要か?」を真剣に考え抜いた結果として物を持っている。

思考プロセスとしては完全にミニマリストの本質を実践しているはずだ。

けれど、部屋を見渡せば普通に物が多い。

この状態の人を見て、世間の誰が「ミニマリストだ」と思うだろうか?

たぶん、誰一人思わない。「普通に物が多い人」で終わりだ。

【体験談】「ミニマリストという肩書き」を守るために狂っていた時期

そして、これこそが僕が過去に盛大にやらかした最大の失敗の原因だった。

「ミニマリストっぽく見られたい」

「ミニマリストを名乗る以上、こんな生活感のある物を持っていてはいけない」

いつの間にか、他人の目線や「ミニマリストという肩書き」に執着し始めてしまったのだ。

その結果どうなったか。 「自分にとって必要かどうか」ではなく、「ミニマリストとして正しく見えるかどうか」で物を捨て始めるという、完全な思考停止状態に陥ってしまった。

例えば、キッチンツールや掃除用具、季節ものの寝具や家電。

「代用できる」「なくてもなんとかなる」と無理やり理由をつけて手放した。

結果、毎日の自炊や掃除の手間が3倍くらいに膨れ上がり、猛烈に不便な思いをすることになった。

冬は寒さに震えながら、まあなんとなかなると自分に言い聞かせる始末。

完全に本末転倒である。



快適な生活を目指していたはずなのに、自ら進んで不便な苦行僧ライフを送っていた。

そして、不便さに耐えきれなくなって訪れるのが、お決まりの「買い直し」フェーズだ。

手放した数ヶ月後に、全く同じ用途のキッチングッズや収納用品を買い直す。

「捨てるエネルギー+不便に耐えたストレス+再購入の出費」。

完全に無駄の極みで、部屋の物を減らした代わりに、財布の中身とメンタルをゴリゴリに削り落としていた。

定義にこだわる必要なんて、1ミリもない

そんな数々の失敗を経て、現在の僕の部屋には普通に必要な物が揃っている。

大好きなガメの水槽もあるし、暮らしを楽にしてくれる便利グッズも置いている。

だから今の僕には「ミニマリストです!」と名乗ることはない。

世間の定義が「持ち物が少ない人」である以上、無理にその肩書きにしがみつく意味がないからだ。

インフルエンサーとして発信するとか、本を売るために肩書きが必要なら仕方ないかもしれない。

けれど、僕らはただ「自分が快適に暮らしたい」だけの凡人だ。

誰かに「ミニマリストのくせに物が多くない?」と言われるのを恐れて、生活の快適さを削るなんてバカげている。 自分にとって必要なものを考え抜いた結果、物が増えたならそれで大正解なのだ。

これから持ち物を減らして快適に暮らしたいと考えている人が、僕と同じ轍を踏まないための反面教師にしてもらえたら嬉しい。



以上。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

下記の記事では、ミニマリスト生活の良さについてザックリ説明しています。よかったら読んでみてください。

ミニマリスト生活をするメリットをゆるーく紹介【実体験】